→埼玉県はリフォーム会社が多い県ですが、ぼくの中でぱっと思いつくのは満生さんが経営するぐっとリフォーム。リクルートのリフォーム雑誌「Goodリフォーム」時代に知り合って以来、色々な媒体でお世話になりました。とにかく人柄がいい!、ここにつきます。業者に丁寧に接してくれる社長さんに悪い人はいないですよ。
②元・ホテルマンのホスピタリティある営業スタイル
→若い頃は国内やイギリス・ロンドンのホテルを転々と渡り歩き、ホスピタリティあるサービスを提供してきたそうです。リフォームはサービス業。人を不快にさせないことは勿論、期待を超える提案をしてくれるはずです。
③建築が好きな人を集めた経営スタイルを実現
→リフォーム業は稼ぎたいと思っている人ではなく、本当に建築が好きな人がやるべきだと考える満生さん。去年から新卒採用もはじめ、従業員が長く、生き生きと働ける会社を目指しておられます。
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有限会社ぐっとリフォーム
1968年生まれ
住所:埼玉県さいたま市見沼区東大宮7-49-10
出身:福岡県福岡市
在住:埼玉県さいたま市
趣味:大型バイク:35年ぶりにバイクに乗ります。夏にふらっと入った近所のショップで一目惚れして免許もないのに衝動買いしてしまいました。
好きな音楽:リービーブラザーズ、ビートルズ、エリック・クラプトン
好きな映画:ゴッドファーザー
好きな一曲:「愛はきらめきの中に」ビージーズ
Career
満生さんとの出会いは2005年。リクルートの雑誌Goodリフォームの営業をして知り合った。掲載を決めてくれた時に「掲載費、もう少しまかんないですか?」とはにかんだ笑顔で言われ、当時の上司に値引き交渉をしたのを覚えている。この人の役に立ちたいと思わせてしまう、不思議な魅力を持った人だ。
満生さんは福岡市出身。叔父の影響で20歳から長野県志賀高原でホテルマンを始める。24歳まで国内のホテルを転々として後、兄がコックとして勤めていたロンドンのホテルへ転籍。昼間は英語学校に通いながら1年間、外国人相手にサービスを提供した。
帰国後、福岡で結婚式に参加した歳、同席の友人が「リフォーム会社を父から受け継ぐから一緒にやらないか」と誘われてホテルマンから転身する。福岡市で外装屋根工事を展開する年商50億の会社で、入社後、九州一円と広島の営業所を転々とした。満生さん25歳の時だ。
当時は工事の資料を投函して、あとから電話して営業するスタイル。電話すると「資料を投函するな」と怒鳴られ、電話の時間が近づくと下痢になるくらい嫌だった。100件、200件電話しても1件くらいしかアポ取れない日々が続く。お客様と会ってからの営業はホテルマンの経験が役にたった。言葉遣いは勿論、お客様が考えていることを先読みしながら話し、期待を超えることを意識して提案をした。営業成績は徐々に上がっていく、常にトップクラスをキープするようになった。
「ぼくは強引に売れるタイプではなかったから人当たりがよかったんだと思います」
3年ほど営業経験を積んだ後、関東圏初の支店、大宮店の責任者をまかされた。メンバーは16人で月間4000万程の売上。順調に伸ばしていたが、当時の幹部と意見が合わずに満生さんは退社を決意する。
会社を辞めてからは個人事業主として屋根外装の新規営業を続けた。その後、内装や設計の勉強をして仕事の幅を広げたいと思うようになり、近所のリフォームの会社に入社する。
水回りのリフォームを中心に事業展開する会社で新聞折込みのメニューチラシからの反響営業。ずっと新規開拓営業をしていた満生さんにとってお客様の方から問い合わせがあることが信じられなかったが、実際にはさばききれない程たくさんの反響があった。3年ほど勤めて集客や内装、水回りリフォームのノウハウを習得した後、32歳で独立を果たした。
オフィスはさいたま市見沼区に構えた。昔一緒に仕事をしていた同僚も集まってくれ5人で会社をスタート。メニューチラシの反響営業で初年度から1.2億を売り上げ、順調に滑り出した。
しかし2004年に富士見市で悪徳リフォーム詐欺の事件があった後、チラシの反響がならなくなった。世間がリフォーム業界に不信感を抱く時世の中、新規集客に限界を感じ、工事をしたお客様のアフターフォローを徹底的に行う方針に切り替える。パートの女性2人をやとってOBのお客様宅を「アフター点検にきました」と一軒一軒回りながら「工事中どうだったか?」「現在困っていることはないか?」をヒアリングしながら受注につなげていった。お客様の中には「工事中に不満があった」と指摘する人もいて、それを担当営業マンにフィードバックしていった。
「内容によっては無償で工事をやり直すこともありました。クレームが多い営業マンも注意して工事するようになり、以降、クレームが減っていきました」
お客様の満足度を上げたことによりアフターフォローからもリピート工事でとれるようになった。現在は売上の8割がリピート工事。年に2度「お客様感謝祭」を開催。ハガキで招待し来場を促している。暑中お見舞い、年賀状、カレンダーを送るOBのお客様は1600件にものぼる(2020年現在)。ぼくが担当していたリクルートの雑誌掲載を始めたのもこの頃。新しいやり方を模索しながら売上1.5億程度を数年間キープしていった。
現在のオフィスには2014年に移転。県道沿いで、くら寿司に隣接する好立地だ。今でこそ人が定着して働いてくれるようになったが創業当時は人の入れ替えが激しかった。
「ぼくは体育会系の結果主義の中で営業してきたから売れない人の価値観がわからなかったんですね。売れない人に対してつい感情的に怒ってしまった結果、辞めてしまう人もいました。
なんとかしなければと思い地元の中小企業家同友会の経営指針セミナーに参加し、社員との接し方を勉強。会社の利益のために怒るのではなく、その社員の成長のためにというスタンスが大切だと学びました。
同じ時期に会社の福利厚生や待遇の見直しも行いました。以前は稼ぎたいと思っている人が稼げるように歩合制にしていましたが、リフォームは建築が好きな人でないとやっていけない業種。固定給にし、経験者や資格者を積極的に採用していきました」
現在は年間で500件の施工、2.3億の売上をグループ会社を含め15人で運営している。
「今年から新卒の採用も始め、来年度も1人内定が決まっています。彼らがずっと働いてもらえるような会社にしていきたい。事業展開としては不動産も含め、住まいに関することには全部対応できる体制をつくっていきたいと考えています」